なかとそと

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雨宮まみ『40歳がくる!』に寄せて

雨宮まみの『40歳がくる!』を拝読。ここ最近あった個人的な出来事が一気にストンと落ちてきたので、忘れないうちに書き留めます。

年末、10年来の知り合いを立て続けに亡くして、身近で人の生き死にを感じるのが初めてだったこともあり、心身ともに不安定になっていた。浴びるように酒を飲んだり本を読んだり、終わらない毎日をなんとかやり過ごすなかで、つい誰かに辛さや悲しみをわかってほしくてたまらなくなって、たまたま出会った人にこの人ならわかってくれるかもしれないと勝手に期待して、盲目的に突っ走って光の速さで失望した、という出来事があった。

あまりにもありふれすぎていて、いい歳して本当に情け無くて、笑い話としてネタにすらできないようなしょうもない出来事で、ただ相手にわかってもらえなかったことに傷ついて悲しんだり腹を立てたりしていたんだけど、私は私の選択の責任を取ろうと思ってこうなったわけで、そもそも私の歪んだ認知や業が原因なので、自傷行為に人を巻き込んだみたいなもんだよな、と考え直した。自分の罪と罰だよな、と。この考えに至るまで、なんかいも泣きたくなったけど、泣かなかったし、泣けなかった。全然泣くようなことじゃなかった。

自分の辛いとか悲しいとかを他人にわかってもらおうとしていたのは私も相手も同じで、だから最初から慰め合うことは不可能。それぞれがそれぞれしかわからない感情を持っていて、お互いに利用しあっただけのこと。出来事そのものには、なんの意味もない。

けど、出来事から私は、自分の中に隠れていた罪悪感や劣等感、反対に生への執着を感じたりしたので、結果よかったんだろうなと納得している。出来事そのものはしょうもなく、相手には申し訳ないけど、出来事を振り返って、消化して、糧にできる私には、大きな大きな意味がある。

傷だらけになって倒れて、人生がどうしようもなくなっても、私を生かせるのは私だけで、私の辛さや悲しみも私だけのもので、誰にもわかるわけなんてない。というか、私以外の他人にわからせてなんかやらない。それに絶望するときもあるけど、少なくともいまは希望だ。同じような失敗をなんどでも繰り返して、そのたび辛くて悲しくて喚きたくなって、でも実際はそんなことできないから酒を飲みすぎたり意味のない言動をしたりして静かに狂ってごまかして、また生きていく。そう、そういうふうに毎日を生き延びていく。

私は、私自身に、ちゃんとなれるんだろうか。

そんな不安を抱えながら、生きてゆく。と記した雨宮まみの言葉に心が震えて、ここ最近苦しみながらも私を私としてなんとか成り立たせてきた自分をものすごく愛しく感じた。図々しく生きようとする自分を恥じずに、受け入れようと思えた。生きる気力を奮い立たせてもらえた気がした。

生きてゆく。私はまだまだこれからもずっと。ままならない自分に、人生に絶望しながらでも、やり過ごしながらでも、毎日を続けていく。