島根の片田舎で生まれた私は、とにかく田舎が嫌で嫌で、ものごころついたころには東京に行きたいと思っていた。
東京への思いを胸に中〜高校時代を過ごし、実際に東京の私大を受験。第一志望はあっけなく落ちたが、幸に明治と青学に合格した。
キリスト教でもないのにチャペルに憧れがあった私は(いかにも田舎もの……)断然青学だわ!と思っていた。が、「青学にいくような輩とオマエが仲良くなれるはずがない」と父が一刀両断。消去法で若干渋々明治に入学した…過去をもつ女である。
そんなもんだから、わたしは断然美紀に感情移入してしまった。
ダサい自分と母親の姿に、とにかく劣等感でいっぱいだった入学式…
電車に乗って学校に行くだけで精一杯な私を、スイスイ追い越していく見知らぬ人たち…
ハイブランドのバックをもつモデルの他学部生や、物おじせず流暢な英語を話す同級生…
心の底から「スタートが違う」と思ったものだった。
一方で、東京出身にもかかわらず、案外地味な女の子がいることにも驚いた。
彼女らは一様にやさしく、おっとりしていて控えめで、私みたいな田舎者とも分け隔てなく付き合ってくれた。
醜い話だが、都会に染まろうとおしゃれやメイクを頑張っている私よりダサいのでは…なんて思ってたのも事実だ。
でも、彼女たちには余裕があった。
田舎育ちで、東京に馴染もうとあくせくしている私にはない余裕だった。
『あのこは貴族』を読んで、東京の外からやってきたあの頃のことを、胸が痛くなるほど鮮明に思い出した。
圧倒的な美紀側の私は、どう頑張っても、最初からもっている華子の方を有利に感じてしまう。華子が悩む気持ちは否定しないし、存在自体が悪だと思ったりはしない。
ただ、ただ、単純に、最初からもっている人なのだ。
それは越えようがなく、どうしようもないことだけど、もってない側からすると、羨ましく感じてしまうのはどうしようもない。
その「どうしようもなさ」を乗り越えようと、もがいていたあの頃の自分を思い出して泣ける。そして「どうしようもなさ」を乗り越えてきたいまの自分を愛おしく感じてさらに泣けるのでした。
しかしこの感想、圧倒的に自分が美紀側になってしまうのは、ラストにも問題あると思うぞ!
華子が自分の足で進みはじめたのは素晴らしいことだけど、結局友達=コネじゃん!と思ってしまったよ……
でも、それがまたリアルな感じでもあるのですが。
山内マリコ氏の他の作品も読んでみようと思います!